淫夢とキリスト教は似ている。キリスト教は聖書から「狭き門から入れ」や「カエサルのものはカエサルに」など、様々な言葉を引用し、それらを解釈しながら営まれるのであるが、淫夢もまた、ほんへから様々なBBを切り出してきて新たな動画へと再編集することで営まれている。よって淫夢=キリスト教、証明終了、といきたいところなのだが、実は淫夢とキリスト教には無視できない差異もある。キリスト教において聖書は全体が神からの救いのメッセージ=福音を示すものであるから、聖書それ自体を読み解釈するということがどうしてもなされなければならないのであるが、淫夢においてそれは全くと言っていいほど行われていないのである。ならば、淫夢においても、ホモビ男優からの救いのメッセージを受け取るために、誰かがほんへ解釈という作業をやらねばならないのではないだろうか。
この危機意識は、私が、啓示により、「一転攻勢」こそがメッセージの中心であるという御言葉をたまわったことに由来する。しかし、GOはそれ以上の意味を私に教えてはくださらなかったのだ。ならば、私は自分の力によってそれを探し出さねばならないと決意した。そこで、淫夢ほんへを、切れ切れの断片と化したおもちゃとしてではなく、敢えて全体として、物語を持ったものとしてとらえることによって、その意味を取り出すという試みをここに行うと宣言する。それはすべての始まりである一章から始めるのが適切であろう。読者の方々も、せひこの営みに参加し、各々の救いの道へと歩みだして欲しい。はい、よーいスタート。もう始まってる!!
最初は簡単な問いから始める。物語には読者が自己投影を行う人物がいることが多いが、一章においてそれは誰であろうか。
私はそれをTNOKであると考える。なぜかといえば、タイトルの「極道脅迫」というフレーズは、極道が野球部に無理やり何かをさせる物語だと予感させているからだ。まずタイトルを見た視聴者は、極道TNOKが何をするのかに注目して見始めることになる。
ここから物語の読み解きを始める。冒頭シーンはあまりに有名な、疲れからか黒塗りの高級車に追突してしまう場面だ。実はここは後の展開の先取りとなっている。運転中に前の車にぶつけてしまうことを「オカマを掘る」と表現することが、昔はあった(人権感覚の進んだ今は分からないが)。この表現は淫夢の現物ビデオの発売当初は現役だったであろうと思われる。TDNも現役だった。ともあれ、この場面は物語のきっかけを作るとともに、この比喩表現を通して視聴者に、野球部員が極道を掘る展開になることをあらかじめ示しているのである。
ここで読者には疑問が生まれたことと思う。最初にTNOKを視点人物に設定したのに、なぜ彼を掘られる側として読者に示すのかと。ここには、淫夢のほんへを意味不明なものと感じさせてしまう勘違いの根源が含まれている。
断言してしまうが、TNOKの願望は、本当は掘られることなのである。いわゆるウケである。なぜこう判断するか、理由を示す。
淫夢で最近のタクヤに触れたことがある人ならご存知の通り、タクヤはバリウケである。そのタクヤの動画でたまに、ゲイにおけるタチ、リバ、ウケの割合を表す円グラフが登場する。このグラフにおいて、最も面積が広いのはウケ、最も少ないのはタチなのである。しかもその差は微差ではなく、大きく開いている。ノンケが女を犯すことの延長でホモも男を犯したがっているのだと考えると、読解の方向性を見誤ってしまうのだ。
さて、それならば、淫夢というホモビにおいて、多くの視聴者はウケ視点から鑑賞していると想定するのが妥当ではないだろうか。視聴者はウケがタチとどう絡むのか、どんなふうに犯されるのかを予想しながら見るのである。視聴者の願望を代行する登場人物のTNOKがウケであると考える根拠はここにある。
では、そのウケ願望を満たすためにはどうするかというのが、これまた有名な犬の真似シーンの意味である。車をぶつけた落とし前として、TNOKがTDNに犬の真似をさせるシーン。一見気の抜けるようなコメディ的シーンではあるのだが、本当は、ここにも、なぜ犬でなければならないかという理由が明確に存在している。
真似をさせるという行為は命令であるから、まずは自身の力の誇示としての意味を読みとれるだろう。しかしそれだけだと、真似の対象はネコだろうがサルだろうが何でもよいということになってしまう。現実には、この場面では犬が選ばれた。これには、確かな理由があるのだ。それは、犬が躾けられて学習をする生き物であるということである。
TNOKには犬にしたTDN達野球部一行に対して、学習してほしいことがあるのだ。それは何か。それは、TNOKのホモ的性質である。ここも分かりにくいと思うので、以下丁寧に説明を書く。
TDNはホモビに出たのだからホモであり、役の上でもホモだ。ゆえに、ほんへの中でその彼にホモを学ばせる必要はないのではないか。そう思いこんでいる人が多数と思う。だがそれは違う。TDNが実際にホモかどうかは分からないし、かつその演技が真に迫れていると感じるかどうかは視聴者次第だが、このほんへでは、ノンケの役が確実に求められている。何故か。ノンケ男性はホモの好みであるからだ。これも説明を入れる。
ホモが性的に好きなのは男性である。ではどのような男性が好きなのか。前提として、ここでの説明はあくまでその傾向を持つ人が多くいるというだけの話であり、全てのホモがそうであるということは到底言えないことはあらかじめ述べる。その上で、ノンケが好きなホモというのが数多くいるのである。もちろん、ホモはノンケが好きだからと言ってノンケを現実にレイプしたいと思っているかと言えばそんなことは絶対にないということを当然言っておかなければならないし、読者にもこのことを十分理解しておいてほしい。さて、なぜノンケが好きかというと、ホモは男を好んでいて、ノンケは男らしい男、女から好かれる要素としての男らしさを備えているからだ。女が好きなタイプの男とホモが好きなタイプの男は重なっているのである。タクヤの評判動画に、女みたいにアンアン鳴くという表現があったのを思い出すと納得しやすいだろうか。ホモの女嫌いは自分達と似た存在であることに由来していると考えるとどこかしっくり来るところがあるが、実際のところは分からない。
さて、このビデオにおいて視聴者が感情移入するのはTNOKだと最初に言った。そして、その欲望が向けられるのはTDN一行である。彼らは若く、野球をしていて健康的、スポーティな体つきをしているだろう。しかも偶然出会った男たちなのだからノンケである。そんなすてきな子達を自分が手籠めにできたらどれだけいいだろうというのが、一章の裏に流れている欲望の物語なのだ。一章はこの願望の投影先なのだから、TDNは少なくとも役の上ではノンケであることが求められていると考えるに十分な理由がある。
しかし、この欲望の物語には足りない部分がある。それは、ノンケはホモではないため、ホモの自分と交わってはくれないということである。ならばどうすればよいだろうか。ノンケをホモにしてしまえばいいのである。TNOKがTDNを犬にする理由がここに示されている。すなわち、TNOKはTDNを犬という学習能力が高く従順な存在にすることで、自分好みのホモにしようとしているといえる。TNOKは犬が好きなのではなく、ノンケを変化させたホモが好きなのだ。
TNOKはここからTDN達に様々な指示を出し、それを見守る役が中心になる。そして、最初強かった存在感は次第に薄くなっていく。ここに違和感を覚えた淫夢厨は多いのだろうが、実はこの存在感の変化は当たり前なのだ。ノンケである野球部員たちをホモに目覚めさせるには、丁寧な指導と時間、そして自発的訓練が必要だ。TNOKはその完了を今か今かと待っている。その気分が「あくしろよ」なのだ。
少し本筋から離れるが、TDNはあのすっぱ抜かれた雑誌で見せている印象的なシーンにおいて、辛そうな顔をしているように見える。あれはノンケであることの証明のためにわざと辛そうな顔の演技を見せているのだ。なぜならばノンケであればホモに体をいじられるのは(最初は)嫌なはずであるから。ホモビ鑑賞者のホモは男優が本当にノンケであるということに対してこだわりがあり、それはノンケがAV女優の感じている演技が本物かどうかこだわるのと同程度だという。
そしてついに目覚めの時が来る。TNOKが射精し精子をかけると、かの有名な場面が訪れる。「一転攻勢」である。拳銃を向けられ、さっきまでの主従関係とは逆に、主導権を握ったTDN達野球部員が極道のTNOKを襲い始める。これは一目には乱暴された野球部員達の復讐のように見えるが、実のところ、裏の意味ではそうではないのだ。この逆襲は最初からTNOKが意図したことであり、狙い通りのことが起こっているのである。本来ウケであるはずのTNOKが指導のためにタチを実演し射精によってそれを完了することで、犬であるTDNたち野球部員はタチとしての振る舞いの学習を完了するのである。
ここまでの流れをノンケコンテンツにたとえるなら、敢えて単純化すると流行りのメスガキに似ていると言えるのではなかろうか。メスガキとは、敢えて挑発することによって男を性的に盛り上げ、自分が犯される方向へと導く存在だ。また、レ◯プの快楽墜ちも似ているかもしれない。暴力で無理やり犯して快楽によって「教育」し、最後は女が自分から腰を振るようになるという筋書き。このほんへにはそれらに似た欲望の構造が働いている。
結果TNOKは野球部員達に凌辱され、最後は拳銃が放たれるシーンで終わる。これはTNOKが殺されてしまったというよりは、生死という自分の身体コントロールを完全に奪われる程にまで、TNOKのウケ願望が徹底的に達成されたことの表現であると読むべきであろう。
まとめると、淫夢一章の物語とは、ウケ的欲望、主導権を握りながらも相手に身を任せてしまいたいという性的欲望の表現の一形態であると言えよう。
おまけ的になるが、ここで示した読解と同じ方法で、4章も読解できるということを軽く示す。まずノンケの遠野がホモの田所によって野獣邸、ホモの巣に誘い込まれる。屋上というホモとノンケの境界においてノンケがホモに変えられる儀式が始まる。そこで遠野はオイル=疑似精液をまぶされるが、それだけではまだホモにはなっていない。これもう分かんねえくらい焼けてしまっている=完全なホモの田所と、すっげぇ白くなってる=まだホモでない遠野の対比がそのことをよく示す。疑似精液でなく本物の精液をかけられなければ遠野はホモにならないのだ。そこで遠野は地下室=深層意識=隠された欲望の場に連れて行かれ、特殊な薬の服用の後、田所に精液をかけられる。苦悶先輩とは、遠野をホモにするための田所の必死の努力の表れである。そして、これまでの喘ぎ声とは人が変わったように高くなった喘ぎ声、すなわち世界のトオノとは、遠野がホモに目覚めたことを示す合図なのだ。最終的にホモの田所は元ノンケの遠野に掘られるという本懐を果たし、キスによってそれが確かなものであると視聴者に示され物語は終わる。
同様に空手部等他のほんへも読解できるのだが、そこまでやってしまうと読者の楽しみを奪うことになりかねない。ので、それらは読者がそこからそれぞれの淫夢の道を見出すための足がかりとして残しておこうと思う。ここまで楽しんでいただけていたなら幸いだ。文系の学問は役に立たないなどと言われることもあるが、本当はこんなにも役に立つ。これだけはどうしても真実を伝えたかった。
注
ホモという表現は同性愛者に対する蔑称であるが、ここでは淫夢厨の慣習に沿ってこの表記を用いた。すべての当事者の方々に対してお詫び申し上げる。筆者は異性愛者男性であり当事者を完全に理解することができないという自覚がある。間違い等あれば指摘してほしい。
参考文献
『性欲の科学』 CCCメディアハウス
オギ·オーガス、サイ·ガダム著
坂東智子訳
第7章 ストレートの男と違うところは3つだけ を中心に参考にした。