<追記あり>シンデレラの魔法は夢見りあむが無効化した

(2019.5.24 21:40  追記

りあむ に投票した新参デレステユーザー  さんのコメントより、利用可能性ヒューリスティックという言葉の使い方が間違っているとの指摘を受けました。筆者も確認したところ、人間の直感の持つ、思い浮かびやすい情報のみを使って判断をする性質の名前が利用可能性ヒューリスティックなのだと間違って覚えていたことが分かりました。以下の文章及び別の記事でも、この事を念頭に入れて読んでください。名称は違いますが大意は変わりません。)

 第8回シンデレラガールズ総選挙中間発表で夢見りあむは3位だった。私は、シンデレラガールズ総選挙は私が考えていたルールで動いてはいなかったんだと思わされた。

 夢見りあむは人間の弱さ、悪く言えばクズさを全部持ったままアイドルになり、「やむ」や「ぼくをすこれ!」や「ちやほやされたい」や「オタクちょろいな」など強烈なインパクトとともに常に話題になり続けた。炎上をも辞さない愛され欲求が、何をやらかしてもそれを燃料にして自分の存在をアピールする。すこられたい、ほめられたい、でも努力は嫌だ……正直アイドルを舐めてるような言動だ。でもりあむは、その言動が話題にされることで、知名度という養分を得て、さらにでかくなる。ついでに言うと、乳もでかい。それも人気のひとつの理由だと思う。

人がりあむに投票するのは、なぜなのだろう。
 

 第7回シンデレラガールズ総選挙で、私は安部菜々に投票した。そして、安部菜々がシンデレラガールの称号を勝ち取った。安部菜々は下積み時代が長く、挫折すれすれになりながらも努力と自分の夢を信じてアイドルを続け、ついにトップに上りつめたのだ。私は安部菜々の勝利を、平成の最後に人々からもっとも支持された物語の勝利なのだと思っていた。世界は努力と誠実が報われるべきものだという人々の無意識がこの結果を生んだのだと思い込んでいた。

 でも、違ったのだ。私が一人、世界で報われるべきアイドルとして安部菜々に投票していた裏で、全然違うルールで投票している人たちがいて、彼らが圧倒的大多数なのだ。

 菜々Pの選挙戦術は、別に彼女のシンデレラストーリーを積極的に広めるものではなかった。BMBBの勢いを基礎に持ちながら、ウサミン豆腐やドデカミンモンダミンなど、奇抜だが楽しそうな言動でひたすら注目を集め続けた。そして、あわよくば彼女のストーリーにも触れてくださいねというスタンスだった。私は彼らと親しくなかったし、選挙戦術として邪道だとずっと思っていたので、無視して黙々と投票し、一人で上記のように安部菜々のシンデレラストーリーの勝利を信じていた。でも、そんなわけなかったのだ。

 関Pが楽園で泣く話をよく目にする。でも、そのくらい1人のアイドルに思い入れを持つ濃いPは、本当はどれくらいいるのだろう。ツイッターでまでアイドルの話をするのは、それだけで濃いということを普段私達は忘れがちだ。実のところ100人に1人もいれば、多いくらいではないのだろうか。大多数はきっと、総選挙と言われても、この子もあの子も可愛くて、誰に投票しようか迷っている。

 人間は利用可能性ヒューリスティックというものを持っていると、今年になって私は本で読んだ。これはざっくりいうと、人間は考慮する要素が多すぎて決められない選択を前にすると、頭にすぐ浮かぶ選択肢を選んでしまうように出来ている、というものだ。総選挙の投票先なんて、どの子もみんな可愛くて、好きな性格、好きな容姿、好きな曲、好きなイベント、好きなCP……と考えるべき要素が多すぎる。しかし真剣に考えれば考えるほど、投票先が決められなくなり、とうとう訪れた投票すべき最後のタイミングには、利用可能性ヒューリスティックによって、頭に浮かんだアイドルに投票することになる。利用可能性ヒューリスティックはまさに、決められないものを決めるために存在する無意識の働きなのだから。

 夢見りあむの得票は、りあむの性格によって生まれる炎上的マーケティング知名度によって、たくさんの人の頭に利用可能性ヒューリスティックが働くことによって得られたものだと思う。そうとしか考えられない。彼女がシンデレラガールになることで生まれる尊い物語はどこにも存在しないのだから。あるとしたら、ぽっと出のアイドルなめたような女の子がいきなりシンデレラガールになって、努力とか誠実とかの美しい物語がまさに馬鹿馬鹿しいおとぎ話に成り下がってしまうという、負のカタルシスだけだ。そしてこのカタルシスは、いままさにシンデレラガールズに実現しようとしている危機なのだと思い、それを危惧する方々もたくさんいることと思う。しかし、私は気づいてしまったのだ。本当は去年のシンデレラガールが選ばれた時点で、とっくの昔に実現していたのだと。夢見りあむは、それをあからさまにしてしまっただけなのだ。

 ウサミン豆腐もドデカミンもBE MY BABYも、ひたすらアイドルをを面白いネタにして不特定多数に提供し、記憶に残させ、利用可能性ヒューリスティックによって投票へ導く、それだけの戦術だ。アイドルの物語も担当P一人一人の努力も関係ない、必要なのは多数に広がること、面白いネタであることだけ。利用可能性ヒューリスティックが働く人の頭数を増やせばいいだけだ。ウサミンが地下劇場で長年苦労して苦労してアイドルを続けた話なんて、ネタにならないならいらない。そもそも人間は、長い文章を読むのが嫌いなんだから(利用可能性ヒューリスティックなんて、複雑な情報処理を避けるためにあるんだから)。

 ボイス付き新アイドルは、デレステを炎上させた。その理由としてたくさん見られたのは、自分達の担当アイドルは報われてないのに彼女らだけ総選挙抜きにしてボイスに楽曲に恵まれているというものだった。でも、ここまで読んでもらえば分かる通り、この批判は的外れなのだ。ただの担当の努力は、総選挙では絶対報われない。順位にならない。ボイスなんてつくわけない。報われるのは、大衆受けする面白いネタ、単純で頭に残るキャッチフレーズだけ。あなたが作った長文ぎっしりダイマは読まれず無視され、アーティストの顔をアイドルにすげ替えたコラ画像が何千リツイートされる。総選挙は、担当を自分達の努力で人気にする、アイドルにシンデレラの魔法をかける場なんかでは全くない。アイドルをネタとして料理して大衆に差し出し、美味しく食べてもらう場だ。安部菜々が私に残していた幻想は、夢見りあむが完全に破壊した。シンデレラガールズは、担当の地道な努力が報われるコンテンツなんかじゃ全くない。このことを無視した批判は、読むに値しない。

 第8回シンデレラガールズ総選挙の中間発表で、安部菜々の名はなかった。私は最初ショックだったけど、でも本当は当たり前で、ただ私が事実を直視していないだけだった。ネタの賞味期限が切れたし、そもそもネタが提供されていない以上、投票なんてされるはずがない。安部菜々のストーリーに感極まって投票している人間なんて、本当はごくわずかしかいないのだ。

 本田未央が勝とうが北条加蓮が勝とうが、もう別に興味がなくなった。未央がアニメで経た成長も、チャンネルで見せた人に寄り添う優しさも、加蓮が病弱で人生に希望を持てていなかったことも、Pが育てたアイドルでも、そんなことは総選挙には無関係だ。未央はシンデレラガールズを支えてきたニュージェネ最後の1人ってだけの圧倒的知名度で、加蓮はライブでアガる人気曲複数持ちに恵まれた容姿、ポテトキャラによる親しみなんかで上位を維持し、あるなら第9回の総選挙でシンデレラガールをとるだろう。彼女らが上位なのは知名度がりあむより高いだけのことで、それ以上の理由はない。

 ナターリアPはスネークで票を伸ばした。浅利七海は合作もあって、今はアーロンにも助けを借りているようだ。工藤忍Pは名探偵コナンをネタにしながら進めている。私はこの戦略が結果を出すものとして正しいと思う。今年駄目でも、来年も同じように続ければきっと報われる。的場梨沙が伸びていないのは、担当をネタにできていないからだと心底思う。面白いことをして大量に拡散すること。圧倒的量だけが正義だ。

 最後に繰り返すが、シンデレラガールズ総選挙は担当の良さを担当Pがいかに広めるかを競うものなんかじゃ、ましてアイドルのエモさや美しい物語を人々に知ってもらい、その優劣で勝利が決まるイベントなんかじゃ断じてない。最初からそんなイベントじゃなかった。アイドルにふさわしいだのなんだのそんな一人一人の設定への言及は意味がない。ただいかに爆発力のある拡散ができるか、面白いネタになるか、それだけだ。夢見りあむは許すも許さないもなくて、ただ総選挙の真実を直視させるだけの、評判通りの炎上アイドルだ。彼女は、努力が報われるみたいな美しい世界は人々の妄想の中にしか存在しないことを私達に教えてくれる、素晴らしいアイドルなのだ。